元号と西暦
天皇陛下が生前退位されることで平成30年(2018年)で平成が終わる見込みな今日この頃。
私は現在、自分の大学でTAとして授業補助の仕事をしているが、そうやって大学の学部生向けの授業を久しぶりに聞いていると少し昔の話を元号で話す先生がいかに多いかに気がつかされる。
世界史的事件については西暦で勉強させられる一方で、日本史的事件についてはいつまでたっても元号至上主義のような風潮が残っていることを時代錯誤だと私は常々思っていた。
というのも、私自身が西暦と元号を一致させられないから(どや)
大学の先生たちの中には、未だに原稿の分量を表すのにワードや文字数ではなく400字詰め原稿用紙の枚数でおっしゃる先生が少なくないが、私の中では元号で過去を話すことも同じカテゴリーの時代遅れに感じるのである。
例えば、日露戦争1904年と覚えさせられたのが明治なのか大正なのか昭和なのか、世界恐慌1929年が大正?昭和?なのか、おじいちゃんの昭和3年生まれは西暦何年なのか、終戦昭和20年=1945年がうっすらわかるとして、その後父親が昭和34年生まれ、東京オリンピック1964年とか日中国交正常化が昭和47年とか大学紛争1968年とか、西暦と元号が混在して、それらがごちゃごちゃになって頭の中にある年表に一貫した知識として定着していなかった。今更で恥ずかしいのだけど。
(ちなみに私は1985年=昭和60年生まれ)
そしてこのことは、それらの出来事がどれくらい昔の時代なのかという「世代」の感覚、つまり親の世代なのか祖父母の世代なのか、さらにいえば親や祖父母がどれくらいの年頃だったのか(小学生?中学生?高校生?大学生?あるいは親が親になった頃?)といった、時代を生きる一個人として自分を軸にした際に、それを取り巻く社会がどんな風だったのかという年代と社会事象を関連付けることがこれまでの私はいまいち上手に出来ていなかったことを意味する。
その原因を元号と西暦を一致させられない私の無教養のせいではなく、元号を使い続ける一部のおじさんたちに責任転嫁していたのである。
だってさ、考えてもみてほしい。昭和生まれで多分わりと勉強してる(?)私でさえよくわかんないのに、どっぷり平成生まれの今の大学生たちに昭和x年とか当然のような顔で説明されてもさ、それで理解しろって少し酷じゃない?せめて元号と西暦を同時に言ってほしいよね?しかも心なしか90年代以降の出来事は平成で言わないことの方が多い気がするし、それって矛盾じゃないかしら?今時元号表記を見かけるのは省庁が刊行する公的文書だけのような気がするけれど。私思うのだけど、元号表記を継続させることは、世界史的理解からの日本史の分断を助長する効果を生み出すのではないかな。グローバリゼーションの時代に自国の歴史的流れと世界史の流れをリンクさせることを阻むような日本独自の物差しは、平成生まれ(あるいはポスト冷戦生まれ?)の世代にはもはや使われなくなりつつあるのだから、旧世代の人の方が認識を変えるべきではなかろうか。
かねてより、私はそのように感じていたのだ。
それで、今日ふとそんな話を父にしてみた。
そしたら全否定された(笑)
それは違う、日本の出来事を元号で表すのは文化だ、若者が元号離れしているならなおさら意識して元号を用い続けなければこの文化は廃れてしまうだろう。だから昔を語る際には元号で年代を言い続けるべきだと。
いやいやその発想それ自体が時代遅れになりつつあるんじゃないかっていうのが私の主張なんですよおじさんや、と思ったけれど、そう言いかけてふと口をつぐんだ。
父親の発言それ自体は保守的な匂いがするけれど、どっちにしても元号と西暦を一致させなければ授業講演新書その他様々な場面で私自身知識の整理ができない不都合が続く事態は変わりがないので、私の方が変わろうと決意したのだ。一応仮にも社会科学の研究者なので。この問題は私のプロフェッショナルの一部だなと思い直したのである。なので、風潮云々について不平不満を漏らす前にまずは自分が先にマスターしなきゃなと。
それで、今日を境に金輪際西暦と元号の混在という日本社会のあり方について文句を言うのを(いったん)やめることにし、西暦と元号を一致するトレーニングをすることにした。いやほんと今更なんだけどね。
やり方は簡単、夕飯を作りながら父親に問題を出してもらうのである(笑)
いくつか軸となる出来事があると楽チンで、昭和は1926年に始まり元号プラス25で西暦。明治は1868年から45年続き、大正は1926年まで15年続く。
で、日清戦争何年、日露戦争何年、世界恐慌何年、二二六事件何年、おじいちゃんが生まれたの何年、日中戦争が始まったの何年、太平洋戦争が始まったの何年、団塊の世代の人たちが生まれたの何年くらい、父親が生まれたの何年、東京オリンピック何年、大学紛争何年でその時父親は何歳、大学紛争を大学生の時に経験したのは何年生まれくらいの人、大阪万博何年でその時父親は何歳、ヴェトナム戦争が終わったの何年etc、という風に元号と西暦を一致させるクイズを夕飯(今日は父親が好きな喫茶店風ナポリタン)を作りながらひたすら繰り返した。
知的な親子団欒のおかげで前より少しスッキリしたけれど、それでも平成になるともうダメ。ベルリンの壁崩壊は昭和?平成?(ギリギリのどっちかという程度の理解)。妹が昭和63年(1988年)生まれの学年で、その年の早生まれの子から平成だっていうのはわかっているんだけど、平成元年が何年なのかどうも覚えられん。今書きながらやっとわかったけど、89年が平成元年なんだね。90年だったらわかりやすかったのにね・・・。確か弟が90年生まれだったような?(4学年下なのはわかるけど早生まれだからもうアラサーにはようわからんw)
算数の苦手な私としては、もう少しトレーニングを重ねていちいち計算せずともパッとわかるように確実に自分の中に定着させる必要がありそう。次のステップは、私の中で太い補助線となっているカナダ史を昭和換算して戦後日本史との脳内リンクを補強すること、かな?
そんなわけで、天皇陛下には是非計算がしやすい平成30年か2020年に退位していただきたいと改めて思いました。はい。
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