悲しき熱帯
今読んでいる本。
クロード・レヴィ=ストロースのかの有名な『悲しき熱帯』。
読んでるのは原書じゃなくて邦訳だけど。写真の出典はamazon.frです。
こんなに読み物として面白いものだと思わなかった。
フランスが私の見知った土地だからだろうか。フランス特有の制度や習慣や表現に十分に馴染みがあるからだろうか。無論、『悲しき熱帯』の舞台はブラジルの先住民なのだが、私が読んでるところはまだ若かりしレヴィ=ストロースがナチスに手を貸したヴィシー政権下でいかにして南北アメリカ大陸に船で渡って行ったかというくだりまでなので。
私が留学したパリ社会科学高等研究院はレヴィ=ストロースがいたことで知られている学校で、そういう誇りも少し手伝っているのかもしれない。
でもこれまではレヴィ=ストロースの文体に苦手意識が強く、つい読むのが後回しになっていた。
今回この本を手に取ったのは、友達に勧められたポーランド人の手によるアフリカ紀行文(池澤直樹の文学選集)を買いに本屋さんに行ったら売ってなかったので、だけど電車で読む本がその場で欲しかったので、それで大陸は違うけれど紀行文つながり(?)でしかもレヴィ=ストロースならば勉強にもなる、いつか読まねばならない本リストに入ってるしちょうどいい、今こそ出会いの時と思って手に取ったのだった。偶然巡り合わせのタイミングが来た形である。
上にも書いたように、まだ読み途中。
だけど冒頭にしてすでに近代を生きる西欧人としてのレヴィ=ストロースの葛藤に胸を打たれる。そしてレヴィ=ストロースの自己あるいは自己の属する文明圏を客観視するその刃はすぐさま己に返ってくる。
私は、今、いろんな国のことを知りたくて、特にアフリカ諸国に惹かれ始めているけれど、遠い異国の様々な国、ガーナ、ボツニア、ギニア、コンゴ民、ブルキナファソ、ガボン・・・それから今朝の英会話レッスンの先生の国トリニタード・ドバゴ(カリブ海の国だ)・・・こういった国に寄せる私の関心は、19世紀の万国博覧会において「文明国」が見せた悪魔のような態度、すなわち人間展覧会の民族学的関心と果たして本当に違うと言えるのだろうか?未知なる世界への関心が、周縁化された遠い国に向かえば向かうほど、日本であまり知られていない社会の情報を収集して私の脳の中で目録作成してコレクションを堪能している自己満足に過ぎないのではないかと思うのだ。
民俗学的目録作成の末に何があるのだろう。
悲しき熱帯を旅したのちに、今より少しは答えに近づけるだろうか。
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