試練と岐路
最近、ここ2週間くらいかな。かなり参ったことがあった。
31年間生きた人生のイベントの大きさでいえばトップ3には入るレベルで、久しぶりに失恋以外で精神的にアップダウンが激しく、情緒不安定になっていた。
何があったのかといえば、博士論文提出の2日前になって、提出見送りを指導教授から提案されたのだった。理由は、審査委員の中に私の論文で納得できない部分があると根強い主張をしている先生がいらっしゃることで、指導教授は迷った末に今年押し切って学位取得をするよりブラッシュアップした論文で全員から祝福された状態で学位取得する方がいいと土壇場になって判断したらしいのだった。
私の心を揺さぶったポイントはいくつかあった。とりわけ、大学サイドが事前に提示していた審査プロセスがここに来て突如形骸化した点には感情的に受け入れがたい部分があった。というのも、私は「事前審査」という形で6月に簡易製本した論文をすでに提出していたのであり、それから半年もかかった「事前審査」の最後の最後でこのような事態に至ったからである。本提出に値しないほどの修正点があるならば、先生方は少なくとも3、4ヶ月は早く私にコメントすることができたはずで、実際そのための長い審査スケジュールになっていると大学から説明を受けていた。しかしそれが本提出の2日前に覆されたのだった。その背景には、私の所属研究科が比較的新設で私が学位請求論文を提出した一人目だったということがある。そのため、研究科に博論審査のノウハウが全くなく、先生達も右往左往していた。加えて、審査にあたる先生が審査スケジュールを十分に把握しておらず、行き当たりばったりで発言してきたために取り返しのつかない時期になるまでこのような問題が噴出しなかったのだった。指導教授は常に私が「一人目」であり「前例がない」ことを免罪符としてきた。
これらの点に関して、未だ乗り越えられない憤りが心の中に残っている。
他にも細々とした点はある。だがそのおおむねが研究科(とそれを構成する教授陣)の組織のいい加減さ、脆弱さ、適当さ、優柔不断さに起因する問題である。
しかし。しかしである。
このような事態に至ったのは、すべて私の論文が全員に納得させられるものになっていなかったことによる。いろいろ思うところはあるが、究極的にはここに尽きる。
私のこの考えについて、周りの人たちから賛否両論があった。今回の件は誰に話しても研究科(先生)が悪く、私に落ち度はまったくなかった。あるとすれば、私の論文が一部の人の批判に応答していない未熟さを残しているという点であるが、これだって読む人にとってそう思う人とそう思わない人がいる点である。だから、指導教授からの「論文提出を取り下げる」という提案に対して、私が今年提出するか否かについては知人の多くは「ここまで来たのだから今年出すべき」という意見で、ごく一部ーー批判している当の先生やその先生を尊敬している学生などーーだけが「今年の学位取得に固執せずによりよくすべき」という意見だった。
(ちなみに私は今年、博士後期課程の在籍が満期になる。そのため、今年学位を取得できなければ退学になる。退学後、数年以内ならば論文提出のために該当年だけ復学ができる)
だから、私が今求められているのは結局、自分がどんな研究者になりたいかということ。もっといえば、どんな自分でありたいか。どんな人生にしていきたいか。何を手にしたいと自分は欲し、何を失いたくないと思っているのか。いきなり話が飛躍して大げさに思われるかもしれないけれど、私自身は今回のことをそのように受け止めている。だって、博士論文は生半可な気持ちでは書けないものだ。
博士後期課程に在籍して6年。学部から数えたら12年。莫大なお金を親や助成金から投資してもらって、奨学金という名の借金を何百万円と作って、最後の1年間は両手で数えられるほどまでに飲み会やお出かけを断り、来る日も来る日も朝から晩まで時間と精神力の限り力を尽くして論文を書き続けてようやく完成させたのだ。
そのようにして作った作品を、反対意見があるのを承知で今年押し込むようにして論文を提出するのか(私が強く望みさえすれば受理してくれるだろう)、それとも謙虚に批判を受け止め来年度以降に審査を持ち越すのか(ただし現実的にどのような審査スケジュールが待っているのかは白紙)どちらを選ぶかは、私という人間がどういう人間なのかが試されているように感じてならない。金の斧と銀の斧と鉄の斧、私はどれを選ぶのか?どれを選ぶ人間なのか?これは私の生に関わる厳しく、根本的な問いが私に今突きつけられているのだと思った。
私より20年以上も人生の先輩の、研究科の後輩にあたるおばちゃんたち(うちの研究科には中年〜シニアも多い)には「真面目に考えすぎちゃダメ。ずるく生きていいのよ」と言われた。だから「ここまで来たんだから、誰がなんと言おうと今年学位を取らせてくれって主張していいの」と。
私の最も身近でこの6年間一番苦楽を共有してきた研究科の同輩は「愛さんならもっといい論文が書ける」「研究者になりたいのか、他の道でもいいのか?」「今の論文をそのまま本に出版できるか?」と問いかけてきた。
どちらも間違ってない。
どちらも正しい。
自分が、どっちを好むのか。
どっちの自分を選ぶのか。
私は研究者とは一流のアスリートに似てると思う。
だから・・・
しんどい方の道を選んだ。
私の決断は指導教授に伝えたので、あとは明日、研究科の先生たちの会議で実際どうなるのか決まると思う。私の意志と組織の決断は別次元の話なので、これから学位に関してどうなるのかは完全に不透明。私の心は日替わり。退廃的で自暴自棄になったり、これをバネに飛躍してものすごい高みまで極めるぞという向上心に燃えたり、日によって安定しない。
ただ、今自分に起きたこの事態に対して、私がどう受け止め向き合って対処していくかということが、これからの10年間の自分を形づくっていくんだろうなというそんな直感だけがある。すべてを投げ出したい誘惑にとらわれることなく、耐え抜き粛々と乗り越えることが数年経った時大きな果実となって返ってくることだけが31年間の人生経験からはっきりとわかる。
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