おいしいコーヒーのいれ方(春の雪)

私の知る限り、この村山由佳の「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズを好きなのは男性ばかりで女友達でこれを好きだって人に会ったことはない。私自身、あまりにいろんな人(男友達・先輩・後輩)がこの小説がいいっていうんで手に取ってみたけれど、漫画を読んでるような気楽で楽しい気分で読み進みこそすれ、正直あまり心に響かなかった。主人公は5歳年上のいとこに恋する高校生男子で、女目線で読むと年上彼女であるいとこの女がいまいちだった・・・。これが男心なのかな?って思って読むのは楽しかったけど。だから感情移入はできないけど、読む分には楽しい、って感じ。


そんな微妙な感じではあるんだけど、なんとなく、今、この小説を思い出して。


サブタイトルはなんとなくそれっぽく適当につけました。気分的には「キスまでの距離」も「僕までの夏」もあうのだけど。内容じゃなくて、そのキャッチコピーが私の気分に合うってだけなんだけど。


春の雪、としたけど、ほんとは雪が降ったのは昨日。そう、昨日のオタワは大雪でした。30cmくらいは積もったかな?そうは言ってもさすがに春先だから、気温は0℃前後で人道的レベルだったからちっとも寒くなかったし(先週の大雪の日は−10℃以下だった。そのキリキリする寒さ、嫌いじゃないけど)、今日は晴れて気温もプラスだったからもうほとんど溶けてしまったけれど。ちなみに今はちょうど東京の一番寒い時期くらいの気温。東京では耐え難い気温なのに、こちらに来て一ヶ月も暮らせば2℃、3℃が温かく感じる人体の不思議。


前置きが長くなってしまった。


先日、知り合いの方から、帰国の家財処分でドリップコーヒーを煎れるのに便利な先が細口の電気ケトルとドリッパーをいただいた。


もし頂いてなかったらフレンチプレスでも買っていたと思うから、かなりの幸運。


と言いつつ、私はコーヒは好きな割に意外と量を飲まない。というか飲めない。すぐ胃にきちゃうし、淹れるのが手間だからせいぜい1日1杯楽しむ程度。だから粉で買うと減りが遅くていつもコーヒー豆を酸化させてしまう。それで日本では、一杯毎に個別包装されてるペーパードリップで飲んでた。その代わり、その1杯は丁寧に淹れる。心の余裕がある気分のいいときに。日本では、早起きしてこれから勉強するぞって時の気合を入れるとき、朝日を浴びながら。


あの個別包装のペーパードリップ、便利で好きだけどカナダで見かけたことはない。もちろんフランスでもない。だから今、頂いたケトルでおいしいコーヒーの量が淹れられるように、自分のお気に入りのマグカップに合わせた粉の量とお湯の量を研究中。そしてこのケトルでお湯を注ぐ力加減を練習中。


↑本屋さんで見つけた連邦結成150周年記念マグカップ。真っ赤なカップにそそられたし、2017年のカナダ人(でこのマグカップを企画した人たち)が選んだメッセージがこれか、と思うと心をくすぐられて研究者としてのオタク心から買わずにはいられなかった笑 


マグカップは大きくて、さっき測ったら340ccは入る。それに合わせたコーヒー粉の量を見出さないと、お湯が多すぎるアメリカンコーヒーになってしまう。個人的な所感では、カナダで飲むコーヒーはマグカップが大きいけれどたいてい薄くてもの足りない。モントリオールでさえも。これは明らかに私がフランスかぶれのせいだと思う。フランスのコーヒーは、カップが小さい代わりに濃くて豆の味がしっかりしていて美味しかった。でも確かにこのサイズのカップで飲むには、多少薄くないとがぶがぶ飲めないのよね。そう思うと、コーヒーの楽しみ方それ自体がそもそもフランス(ヨーロッパ?)とカナダ(北米?)では違うんだなと改めて思う。


今のところ、一番大事な最初の蒸らしのための注ぎがどうもうまくいかない。ごく少量のお湯を注ごうとすると、お湯はSの字にカーブした細い注ぎ口をつたってしまってうまく目標地点に落下していかない。その後も、少しずつお湯を注ごうとするとやはりダメで、かといって力を強くすると今度は注がれるお湯の量が多すぎてしまう。どうしたものか。これはお湯の量を毎回同じにして徹底的に練習して、ちょうどいい力加減の感覚を見出し、それを私の右手に覚えさせるしかない。どれぐらいの力を入れたらどれぐらいのお湯の量が出るのか。手の力加減でいうと、力加減のコントロールが下手で卵さえ未だに上手に割れないけれど(注:料理はできます、卵だけ割るのが究極的に下手なだけです)、練習すれば私でも多少は上達するはず。そう思うと日ごと自分の煎れるコーヒーがおいしいコーヒーのイデアに向かっていく気がして、なんだかわくわく武者震いがする。



夏には彼が遊びに来てくれる。それまでにおいしいコーヒーのいれ方をマスターしたいな。

(小説ではコーヒーを淹れてくれるのは彼氏の方だけど)

Lapin blanc et petites bestioles

"わたしたち、ここにいるわたしたちは、うさぎの毛の奥深くでうごめく蚤です。けれども哲学者たちは、大いなる手品師の全貌を目の当たりにしようと、細い毛をつたって這い上がろうとしてきたのでした" ーヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

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