歩き続けるかたつむり

土日がこんなにいとおしいのは、働き始めて初めて知った。1週間が秒速で過ぎていく中で、あっという間にまた新たな週末がやってくる。

今日は昼まで寝て、午後からは久しぶりに落ち着いて机に向かって勉強できた。といっても、まだまだ本調子の勉強時間には到底及ばず、「始めた」というだけでよしってレベルだけど。


博士論文の修正作業のため、俯瞰的に研究全体像を見直して、1冊の本を改めて読み直すところから始めた。そしたら、自分の英語読解力がほんの数ヶ月前と比べても驚くほど向上していて、びっくりした。それはまるで、メガネのレンズを新しく交換しかけてみたら、今までぼやけていた世界が突然クリアに見えるような。


私の描く「できる」という世界まで、あともう少しで届くんじゃないか、手が届きそう、そんな感覚。


これまでにもそういう感覚は何度も経験したことがある。その度に同じように新鮮な驚きがある。今回もそう。でも、今回もやはり、今まで以上に、よりクリアに、はっきりと、世界が見えた。あるいは、水の中を自由に泳ぎまわれるような、そんな感覚にも近いかもしれない。

この変化はまちがいなく、今カナダで、毎日カナダの現地の新聞を読んで、これはという記事を日本語でまとめるのが私のルーティンの業務内容だから。記事をまとめるのはいつも四苦八苦。やってみて実感するのは、自分が過去10年間情熱を注ぎ続けたフランス語はなんだかんだ楽に読めるけれど、いつも及び腰で不承不承にしか取り組んでこなかった英語にはとても苦労させられるということ。立ち向かっては投げ飛ばされ、起き上がっては転び、再び起き上がって立ち向かうけれどかわされるような、強い人と地稽古しているようなそんな感覚。英語、私の越えられない壁。笑


今は、わからなかったら人に聞いていいということ、まさに自分が取り組んでることについて気軽に聞ける人がすぐ身近にいるということは、これまで大学で研究していた時とは大きな違い。私の課にはカナダ人の現地スタッフさんがいて、ちょっと調べてわからなかったら、私なんかはすぐに飛んで行って意味を聞いちゃう。それまで、一人で孤独に何時間も無駄にうんうん唸りながら調べて調べてそれでもイマイチ確信が持てないまま一応了承しながら作業を進めていたのとは全然違う。すごい楽だし、英語が母語の人に難しい表現や文脈上意味が「?」な部分や、急いでて構文がよく取れない時とか、違う言い回しを教えてもらえることで、適切で自然な日本語に転換する作業がどんどん早くなりつつある。


毎日そういうことを繰り返していて、今日久しぶりに自宅で自分一人で別ジャンルの学術本を読んでみたら、新聞(特に論説)に比べてなんとまぁ学術書の英語はわかりやすいことか!本当びっくり。ああ気持ちいい。


しかしこんなに感動するとは、逆に不安になる。これまでも、曲がりなりにも研究できるくらいには英語を読めていたと思ってたけど、本当に私はちゃんとに読めてたのだろうか?汗

ああ怖い!


この調子で頑張り続けていけば、今よりもっと、世界がクリアに見えるようになるんだと思うと、その快感はクセになって、外国語の世界からちょっと足を洗えない。大学1年生の時、TOEIC315点という笑うしかない点数だった自分が、今こんなところまで来られたと思うと、道のりは長く険しかったけど、12年を振り返るとなかなかの達成感。昔、中学生の頃、剣道部の練習時代でよく行った隣町の中学校の道場に掲げてあった「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」という標語を思い出す。私はかたつむりペースで歩いてるけれど、かたつむりでも前進し続ければ、TOEIC315点の地点からオタワまで来てしまうという。ちなみにフランス語も大学1年生で第二外国語で始めた。そこからパリまで行ってしまったという。


いつまでたっても「できるようになった」と思えないから、常に未知が残り続けるから、モチベーションが尽きることがないんだろうなぁ。


それでも思う。英語ができるようになることでアクセスできる未知の世界、フランス語ができるようになることでアクセスできるようになる未知の世界。日本語でしか知らなかった世界が3倍以上に拡大して、私、人生得してる。かたつむりも悪くないな、って思う。


Lapin blanc et petites bestioles

"わたしたち、ここにいるわたしたちは、うさぎの毛の奥深くでうごめく蚤です。けれども哲学者たちは、大いなる手品師の全貌を目の当たりにしようと、細い毛をつたって這い上がろうとしてきたのでした" ーヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

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