もどかしい

最近、英語のリスニングで困ることがほとんどなくなったように感じる。詳しくない分野の話やドラマの会話とかはまだまだわからないことが多いけれど、ニュースや仕事で使う英語(カナダの政治や社会の話題)についてはすーっと入ってきてしっくりくる。気持ちいい。


この感覚は、正直フランス語では味わったことがないものだった。考えてみれば、フランス語圏は3回も行ったとはいえ、連続して「1年度間」はいても丸1年間はいたことがなかったのだ。だから丸1年以上を海外で過ごしてるのは今回が初めて。もしやこれが2年目の効果なのか。


オーラルについては、決して上手に話せてるわけではないけれど、人と話すのに物怖じすることはかなり減ってきた。


でも今、だからこそもどかしい。英語のシャワーを浴びて、英語を英語のまま感覚的に理解できるようになってきたのに、自分の口からはまだ聞いた通りに出てこない。簡単な日常会話でさえそう。まぁカナダで働いてるとはいえ、職場は日本の組織だし、残念ながら英語を話す機会はそこまで多くないから、オーラルの上達が遅れているのは当たり前ではあるんだけど。


耳に入ってくる通りに話したい。音、イントネーション、表現・・・。


日本語でもさ、この表現はこの文脈で、とかこの動詞にはこの目的語、みたいな典型的なパターンの文章例がたくさんあるよね(普段私たちは意識してないけれど)。


例えば今日、日本語を勉強中のカナダ人の友達に聞かれた例文の中に「日本のコンビニはいいですね。華があります。」というものがあったのだけど、コンビニの文脈で「華がある」っていうのは、不可能ではないし言わんとしてることはわかる気もするけど、あんまり自然な結びつきじゃないわけで(友達は「華がある」の意味を質問してきた)。「パリは華がある都市だ」「彼女は魅力的ですね。華があります。」みたいな例文だったら多分誰しもしっくりくるはずで。それから、友達が持ってきたもう1つの表現は、「尋常」というものだった。これについても、「彼の芸術に対する情熱は尋常じゃない」とはいえても「彼の芸術に対する情熱は尋常だ」とは普通いわない。文法上特に間違ってなくてもいわない。


そういうパターン化された組み合わせが英語でもフランス語でもどの言語でもあると思う。最近思うのは、語学上達の1つの方法は、そういう典型パターンになっている言葉・文章・文脈の組み合わせをたくさんストックしていくことじゃないかと思うのだ。武道でも型があるのと同じように。型を徹底的に習得した者のみ応用を使いこなすことができるのではないか。・・・そう思いつつ、思ってるだけで今の所何も行動に活かせてないんだけど笑


とにかく。


英語英語英語。聞いた通りに話したい。耳に入ってくる英語がわかるようになってきた分、聞くことが楽しい。英語のシャワーがここちいい。次は話すことが楽しくなりたい。楽しくて楽しくて話すぎちゃうってくらい英語が話せるようになれたら、もっと楽しいだろうな。


夏ころになったらライティングにも力を入れたいな。

Lapin blanc et petites bestioles

"わたしたち、ここにいるわたしたちは、うさぎの毛の奥深くでうごめく蚤です。けれども哲学者たちは、大いなる手品師の全貌を目の当たりにしようと、細い毛をつたって這い上がろうとしてきたのでした" ーヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

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